
実は先日、郷土史や植物に詳しい藤井清さんに、有馬の山間の険しい崖などに自生するという有馬蘭(ウチョウランの別名)のお話を伺いました。
「摂北温泉誌」辻本清蔵著(大正4年発行)には「有馬蘭 蘭科の小草にして「ウテフラン」といふものなり、山中の南渓に多し、茎の高さ五、六寸、三、四葉茎を擁して互生す、五月下旬より六月中旬の間に紫色の花を開く、形蘭花の如くにて幽致愛すべきものなり」とあります。ウチョウランは産地により多くの変種があり、有馬のものも、濫獲のため今では大変珍しいものになってしまいましたが、昔は豊富な自生があったそうです。著名な植物学者故牧野富太郎博士は度々、当時の文化人のたまり場でもあった有馬温泉の文化村(有馬町の東端。温泉街からは離れた閑静な場所)で過ごされたそうですが、有馬蘭の名の由来は牧野博士によるものだそうで、蘭愛好家者の間では知られているそうです。
左の写真のようにかつて有馬温泉では有馬蘭の鉢植えを店先や玄関口に飾る風習があったそうです。実に優雅ですね。ウチョウラン(羽蝶蘭)は今でも園芸種としては大変多くの愛好家を抱えるメジャー品種ですが、藤井さんによると,変異種の作り易さなどから質的には花の大きさや数や模様などの見事さを競うものになっており原種の持つ味わいや雅やかさは別ものらしいです。今では人の踏み入る事の少ない山間の岩肌などの険しいところに、ごく稀にしか生えてないという幻の野生の有馬蘭の原種を探し出して、何とか増殖復活できないものかと思います。
お話を伺っている内に、ひょんな事から明治時代に書かれた『レイ夫人の世界周遊日記』という文献の話題になり、夫人が日記に書いている『青い花』がひょっとすると有馬蘭かもしれないとのお話を聞きました。この日記は1998年に神戸市立博物館で開催された『有馬の名宝-蘇生と遊興の文化-』展の図録にも載っていましたので紹介しましょう。
古くは江戸時代の慶応年間より、有馬温泉には数々の異邦人が訪れていますが、特に多かったのは明治元年(1868年)の神戸、大阪開港以降で、海洋航路や鉄道が加速的に開け、資力と時間のある『世界漫遊家』たちが次々と日本を訪れました。有馬温泉にも外国人向けの宿泊施設が、たくさん出来ました。有馬ホテル、杉本ホテル、増田ホテル、清水ホテル、キングジョージホテルなどです。有馬を訪れた外国人のお国も英国、アメリカ、ドイツ、オランダ、インド、中国、革命後のロシアなどなど、職種も宣教師、商売人、観光避暑客などバラエティーに富んでいます。
英国人のアリス・メアリー・レイ夫人もお金持ちの世界漫遊家で『レイ夫人の世界周遊日記』(横浜開港資料館蔵)は夫人が41歳当時夫とともに、明治14年(1881年)から翌年にかけて10ヶ月半の世界一周旅行をした際のペン書きの直筆の日記で、全691ページの内101ページが日本の部分です。一般に知られるような有名な物ではありませんが西洋人の目から見た明治時代の日本の風俗などの様子が生き生きと描かれており貴重な資料です。上記図録によると、3週間の太平洋横断の後横浜に入港。約2週間滞在した後神戸、京都、大阪、有馬、長崎などを訪れています。夫妻は明治15年1月5日の朝ヒョーゴ・ホテル(現神戸郵船ビルの場所)から友人夫妻と4台の人力車に乗り天王越(神戸街道)で4時間かけて有馬に到着します。一行は尼僧の経営する茶店(恐らく清水寺の尼僧清林の経営する外国人向けの宿泊施設「清水ホテル」であろうと思われています。)で昼食をとり有馬の竹細工を買います、温泉には入っていないようすです。と、このように紹介されています。
藤井さんから聞いた『青い花』の事が気になって、有馬の事が紹介されているとされる図録の写真に写っている見開き1ページの日記をスキャナーで読み込み拡大して解読にチャレンジしてみました。挿絵の茅葺屋根の家がどこなのかは良く分かりませんが、「日本の茅葺の民家」と説明されています。文字の癖もあり、難航しましたが、解る限りではこんな事が書いてある事が解りました。
「日本では民家に隣接する土地を巧みに配置しており、農耕できるスペースがあれば、庭のように狭い場所にも畑が作ってある。茅葺屋根の表面は薄い土の層で覆われていて、そこに群生している『青いユリ』が、春には満開になる。これらの『青いユリ』から日本人は『ピンクのオイル』を抽出し、女性の髪に付ける。」
??? 途中から意味不明です。
文中の「blue Lilies」は直訳すれば「青いユリ」でしょうけど、品種を作ればノーベル賞物といわれている「青いバラ」と同じく、少なくとも彼女の知る欧米の現実世界の何処へ行ってもそんな物は在りません。茅葺屋根の上の土の層にに群生できる植物という事が、蘭類である有馬蘭の可能性のある所以だと思います。しかし有馬蘭とすれば厳密には紫色かピンク色です。しかもそこから「ピンクのオイル」を抽出なんて無理です。彼女が有馬に来たのは、真冬ですから、春に茅葺屋根の上に咲くと言う「青いユリ」も実際には見ていません。それが有馬蘭だとしても冬ですから葉さえ無いはずです。恐らく彼女は、つたない?通訳から話として説明を聞いたのでしょう。髪に付ける「ピンクのオイル」は恐らく椿油の事では無いでしょうか。「ピンクの花」の咲く椿の実から抽出する訳ですから。そして彼女の頭の中のミキサーでスクランブルされた?!
でもひょっとしたら「青いユリ」は富裕で教養があったであろう彼女のちょとした創作かもしれません。
というのは『青い花』と言えば著名なドイツ浪漫派の詩人ノヴァーリス(1772〜1801)の未完の小説『ハインリッヒ・フォン・オフターディンゲン』(1802年刊邦題『青い花』世界的にも「青い花」の意味のタイトルで知られています。)で、主人公ハインリッヒが夢の中で見た理想への憧れの象徴として登場する有名なモチーフだからです。小説の冒頭、夢の中で、彼は苔むす岩をよじ登り山の奥へ奥へと入って行き、断崖の洞窟を貫け、光溢れる夢幻郷にたどり着きます。そこで彼は泉の畔に咲く淡青色の花に釘付けになります。彼が近寄ろうとすると花は徐々にメタモルフォーゼし、開いた花弁の中に見た優しい少女の顔が彼の脳裏に衝撃的に刷り込まれ、そこから物語が展開されるといったお話です。
『青い花』は日本の文壇にも大きな影響を与えており、詩人、童謡作家でもある彼の北原白秋も大正時代、詩人仲間を引きつれ『青い花』を求めて紀伊半島を旅したといいます。
「若き日本のロマン派詩人たちは、熊野をノヴァーリスにおける詩の故郷ヒンドスタンに、熊野の山陰に咲く花を詩の化身の青い花に見立てることで、ロマン主義の詩文学を日本に移植しようと試みたのだった。そのすばらしい発想に、私は驚嘆する。」(DeLi創刊号「特集の言葉」池田信雄2003,8より抜粋)
ひょっとするとレイ夫人は、はるばるやって来た異郷の山間で話に聞いた気品在る花の姿に想いを馳せ、ロマンの象徴としての『青い花』の意味を重ねて、実際には何処にも無い存在である「青いユリ」と表現したのかも知れませんね。意識的にか、或いは無意識的に。
レイ夫人の日記を語らずとも、幻の有馬蘭のその気品ある花姿、葉姿、香り、人の踏み入らない山間の険しい岩壁にひっそりと咲く様は、まさにノヴァーリスの『青い花』の趣たっぷりでは無いでしょうか。

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